今日は10時25分のフライトでシンガポールからミャンマーの首都ヤンゴンに飛ぶ。どうやらこの国でも国際線は2時間前チェックインが義務付けられているようなので、7時には起床して空港に向かった。空港にはタクシーで向かってみることに。ガイドブックにシンガポールの交通事情は素晴らしいという記述があり、体験してみたかったのだ。実際その通り。もちろん日曜日の朝ということもあったけれど、渋滞は全くない。快適に飛ばして、20分程で到着してしまった。シンガポールのチャンギ国際空港はとても立派。アジア随一のハブ空港として確固たる地位を築き上げているけれども、その設備やショップの多さ、また先程体感したダウンタウンからのアクセスの良さを考えると、当然だ。成田空港と大違い。無料のインターネットやゲームをしたり、ウィンドウショッピングをしていると、あっという間に時間は過ぎた。
今回シンガポール、ヤンゴン間の移動にはシルク航空を利用した。シンガポール航空の子会社で、アジア地域に特化している航空会社とのことだ。シンガポール、ミャンマー、インド、タイ、カンボジア、マレーシア、インドネシア、フィリピン、中国に就航。サービス世界一と言われているシンガポール航空の子会社だけあって、サービスはなかなか充実。食事も十分に満足できるものだった。
3時間半程度で、今回の目的地ミャンマー、その首都ヤンゴンに到着するとのアナウンスが機内に流れた。いよいよと思って窓から地上を見下ろしてみると、想像以上の風景がそこには広がっていた。赤茶けた大地にまばらな緑、その合間にパゴダ(仏塔)が散在。1個、2個という数ではない。まるである一定の範囲ごとに整然と配置されたかのようだ。ミャンマームードはこれで一気に高まった。
空港に到着すると、その簡素さに驚いた。とても一国の首都の国際空港とは思えない。通常見られるようなPC等のハイテク機器はもちろんのこと、電光掲示板さえない。よく見たら館内放送すらないようだ。入国審査もとてもアナログ。機械にかざすこともなく、目視でチェックされていた。シンガポールとのギャップが物凄い。
この空港で僕は1人の日本人と出会った。伊藤裕さん、東京在住、33歳の男性だ。空港の荷物引取りカウンターで待っている時に2人とも辺りをキョロキョロとしていたのだが、お互いが手に持っている日本のパスポートに気付き、声を掛け合ったのだった。すぐに2人一緒にタクシーでダウンタウンまで行き、宿を探すことになった。伊藤さんは、数年前に会社を辞めて、今は派遣社員らしい。働いては旅に出る、そのような生活を今はエンジョイしているらしい。空港からダウンタウンまでのタクシー乗車中ずっと彼の旅話を聞いていると、その体験談に驚愕。5大陸制覇はもちろんのこと、50カ国以上巡ったことがあるらしい。僕も短い人生の間で、何カ国に足を踏み入れることができるだろう。話が盛り上がっている内に45分程度でダウンタウンに到着した。
ダウンタウンでまず向かった「トーキョー・ゲストハウス」という日本人がオーナを務めている安宿は満室だったので、別の安宿を探しについにミャンマーの街に足を踏み入れることとなった。初めてのミャンマー街歩き体験は、驚きの連続だった。どの通りにも、地べたに座り込んで布を広げる物売りがいる。売っている物は、野菜、果物、衣料品、日用品、CDと様々だけれど、全てに共通しているのが、貧相であるということだ。日本では誰も見向きもしないような、B級品はおろかC級品ばかりが陳列されている。街の建造物もひどい。壁が剥がれたり、鉄筋が剥き出しになっている物も少なくなかった。車のみすぼらしさも目に付いた。日本の中古車が氾濫しているのだけれど、板金が剥がされていたり、ランプが点滅しなかったりと、様々な症状を抱えているように見受けられる。貧しい国だとは知っていたけれど、実態は想像以上だった。ミャンマーは軍事政権下で国際的に様々な経済的制約を受けているのだが、その影響は甚大。僕が今まで訪れたことがある中で、どうやら最も貧しい国のようだ。
街をゆっくりと見ながら歩いていたので30分程かかっただろうか、「ダディーズ・ホーム・ホテル」に到着。部屋を見せてもらったらなかなか快適そうだったので、ここに決定した。シャワー、トイレは共同だったけれど、エアコン付きで1晩6US$。日本では考えられない値段だ。ミャンマーの物価水準が計り知れる。チェックインが一段落すると、まずは翌日からの旅のプラニングを始めた。今回の旅で、ミャンマーには7日間滞在。29日の昼頃にはミャンマーを発たなければならないので、綿密な計画を立てる必要があった。結局、翌日24日にはヤンゴンを出発し、第2の都市マンダレーに向かうことにした。この2都市間の移動はバスで。ホテルで16時ヤンゴン発、翌8時マンダレー着のチケットを手配したのだけれど、ガイドブックに書いてある通りやはり合計16時間かかるようだ。地図上で見ると600キロメートル弱しかないのに、随分と時間が掛かる。ただし値段は格安。エアコン、リクライニングシート付きで、6,500チャット(=720円)。
こういった手配が済み、14時頃に伊藤さんと街に繰り出した。まずは、ホテルから程ない距離にあるニュー・ボーヂョー・マーケット、アウンサン・ボーヂョー・マーケットへ。購買意欲がくすぐられる物もほとんどなく、うろうろと徘徊している内に、2人とも空腹だということに気付いた。ミャンマーでの初めての食事はやはりビルマ料理にしようと意見は一致し、ガイドブックに載っている「ダヌピュー」というビルマ料理レストランに足を向ける。ビルマ料理の基本はカレー、この店の料理もそれだった。既に出来上がっている何種類ものカレーがそれぞれトレイに入れられおり、それを指差して注文する。カレーを注文すると、自動的にライス、スープ、そして何種類もの生野菜が付いた。僕が注文したのはチキンと大根(のような根菜)を煮込んだカレー。なかなか美味しそうに見える、期待大だ。そう思いながら、カレーをスプーンに取り口に運ぶと、何とも言えない味が広がった。脂っこい・・・、美味しくない・・・。不快な味に顔を歪め、耐えて食べ続けた。耐えられなかったのがスープだ。野菜が煮込まれて、酸味が足されているのだけれど、何とも言えず不味い。泥臭いというか草の味がする。カレーは何とか頑張って完食したのだけれど、スープには太刀打ちできなかった。異国の料理への耐性は強いと思っていたのに、まだまだ甘かったようだ。ミャンマーでのこれからの1週間の食生活に、不安を覚えた。
食後、ダウンタウンの中心に立つスーレーパゴダへ向かった。ダウンタウンの幹線道路どこからでも目に入るこのパゴダの煌びやかさには、目を見張るばかりだ。中に入ると、その華やかさは一層増す。金色に彩られた仏像、塔が何個も並ぶ。この国のパゴダの金は全て寄進されたものらしいが、このスーレーパゴダ一つの金の量を取っても相当なものだ。貧しいはずなのに、信心深さがこのような行動を起こさせるのだろうか。実際、パゴダ内には多くの人が祈りに訪れていた。ところでミャンマーでは、何曜日に生まれたのかということが重要らしい。生まれた曜日(日、月、火、水午前、水午後、木、金、土、なぜか水曜日だけ午前と午後に区分される)によって、その人の基本的な性格、人生、他人との相性が決まるとのことで、曜日毎にパゴダ内でお参りするところが分かれている。興味深いのは、各曜日には象徴となる動物が存在し、お祈りする場所毎にそれぞれ動物の像が配置されていることだ。僕は水曜日の午後生まれなので、「牙のないゾウ」が象徴の動物。何の意味があるのか全く検討もつかないが、とりあえず「牙のないゾウ」に祈りを捧げてみた。
スーレーパゴダを出ると、目前にはマハバンドゥーラ公園がある。中央に独立記念碑がそびえ立つ、整備された公園。家族連れで賑わい、週末の一時を楽しんでいる光景が微笑ましい。貧しくても豊かでも、子供が無邪気に遊ぶ姿はどこの国も変わらないものだと思った。公園を抜けてしばらく歩くと、ヤンゴン川のほとりの船着場に出た。もはや夕暮れ時で、対岸に渡るフェリーには家に帰る人で溢れていた。しばらくその場所で腰を下ろしていると、川の向こうに沈む夕日を見ることができた。
ミャンマーの日中は30℃を超える猛暑、伊藤さんも僕も自然と体が水分を欲していたので、夕食には食べ物よりもまずビールということで合意した。船着場から見て丁度スーレーパゴダを挟んで反対側にパブ通りがあることをガイドブックの情報で把握していたので、少し距離はあるけれど、一直線にそちらに向かうことにした。街は徐々に夕暮れから闇に包まれていく。街灯の数が非常に少ないので、この街は夜極端に暗くなる。通りの物売りは店をたたみ、人々は次々と乗合バスに乗り込んで帰路を急ぐ。そういった光景があちらこちらで見られた。
ミャンマーの誇るビールブランド「MYANMAR BEER」の看板が煌煌と並ぶのが、僕たちの目指していたパブ通り。その看板の灯りの元では、各店が競ってBBQを披露している。どの店も、ショーケースに並んでいる具材から好みのものを選んで焼き上げてもらうシステムだ。伊藤さんと僕は、それらの中で一番混んでいる店を選んで席に着いた。BBQで焼いてもらう物を指定して、まずは、「とりあえず、生」。ミャンマービールをピッチャーで頼んだ。最初の1杯の美味しかったこと!ピッチャー1杯(ジョッキ6杯分)1500チャット(=約180円)ということもあって、ジョッキはどんどんと進んでいく。間もなくBBQも到着。こちらも美味しい。昼に食べたミャンマー料理と大違い。「もしかしたら昼に入ったレストランが口に合わなかっただけで、これからミャンマー料理を楽しむことができるかもしれない」、そういう期待感を抱かせてくれた。こうして盛り上がっていると、隣の席で盛り上がっていたミャンマー人5人組に話し掛けられた。道行く見知らぬ人同士も笑顔で挨拶を交わす、素朴でフレンドリーなミャンマー人、日中街歩きをしている時にそういう印象を持ったのだけれど、少しお酒が入って気分が良くなっていたのか、彼らは和をかけてフレンドリーだった。どうやら5人のうち1人は訪日経験があるらしく、片言の日本語を一生懸命話そうとしている。英語、日本語、ミャンマー語を交えながら盛り上がり、まるで宴会の様相を呈していた。僕たち大いに楽しい時間を過ごしたのだけれど、この宴席で一番嬉しかったのは、訪日経験があるミャンマー人が言ってくれた言葉だ。「僕は日本でたくさんの日本人に親切にしてもらった。だからミャンマーに来た日本人みんなに親切にすることにしているんだ」と彼は言った。僕にその後名前、住所、電話番号を書いた紙を渡し、「もしミャンマー滞在中に困ったことがあったらいつでも連絡してくれ」と言ったのだから、おそらく本心だろう。高校、大学在学中にそれなりに国際交流活動をして、こういった草の根、市民レベルでの交流が大切だとは十分に分かっていたけれど、その重要性を改めて認識した。
彼らから去る前に是非ディスコに行くといいと勧められたので、2人でビールをピッチャー2杯飲んだ後席を立って向かった。何軒かある内から適当に一軒に入ってみた。音楽、照明ともに何とも言えずオールド・センスだったけれど、一番驚いたのはそのことではなかった。席に着いた途端、ミャンマー人の女の子がワーッと辺りに群がって来たのだ。まるでキャバクラだと思っていると、横からホール係の男がそっと耳打ちしてきた。「一晩1,500チャット(=1,800円)でいかがですか」。もちろん女性を買うつもりはないけれど、何ていう値段だ。物価水準から考えると十分な価格なのかもしれないけれど、僕たち日本人からするとちょっと信じられない安さだ。彼らが僕らにディスコを訪れるように勧めてきたのも、この現状を知らしめたかったからだろう。買う気がないことを察知すると女性はすぐに側から離れて、その後は何杯かビールを飲んだ後、2人とも疲れ切ってホテルへと帰った。
結局この日僕の一番心に残ったのは、パブでミャンマー人と共に飲んだことだった。ミャンマー到着初日にしてはなかなかアクティブに街中を歩いて回ったけれど、パゴダよりも、風景よりも、料理よりも、印象強かった。「旅を楽しむためには、その国の人を好きにならなければならない」とよく言われるけれど、十二分に納得したのだった。
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